『永利郷土史』に「寛永十六年(一六三九年)山田の日笠山(標高三四〇メートル)の山頂に観音菩薩像(浮彫板碑)が建立された」とあります。
この山頂は、今もなお原生林に覆われ、巨石が累々として重なり合い、しめ縄を張った大石の前に「日笠神社」(鳥居に日笠神社とある)の石祀が祀られています。磐堺(いわさか)・磐座(いわくら)の巨石信仰(「いわ」は堅固。神の御座所(ござしょ)。祭壇。)に間違いなく、川内平野を一望するこの地が、日笠山氏の発祥に関係あるのでしょう。
この「日笠山観音菩薩像」の建立は、旧永利村の十三人の有志によるもので、この地で争いごとに敗れて遠島になった日笠山一族の霊を鎮めるために、建立したものと考えられます。
永利郷土史の一文には、「……石祠は村内連峰の最高所に在り。此処に登れば、川内一帯、並びに久見崎・京泊沿岸を一眸の梩に眺め、風光頗る佳し。霊驗あらたかなりとて、遠近の参詣者常に絶えず。」とあります。平成の現代でも、六月十八日には、近郊の人々が参詣しているということです。この日は、遠島になった慶長十九年六月某日に起因しているようにも考えられます。