『永利郷土史』(旧薩摩郡永利村、現薩摩川内市)第五編の「愛甲康張(やすはる)山田押(おさえ)を命ぜらる」の中に、「是において慶長十九年(一六一四)藩命を奉じ山田押として統治の任に当たる。当時の記録伝わらず、真相詳らかならざるも、伝説によれば、井上氏対日笠山、春山氏等の間に軋轢(あつれき)起こり、公儀の沙汰、其是非曲直を十分審理せず、春山・日笠山以下十一郷士を甑島遠島に処せし為、事後余島互いに反目疾視(しっし)して益々紛擾(ふんじょう)極めしものなりと。愛甲氏は采地百拾壱石を賜ひ、春山氏居所の跡に住し俗に橋元と云ふ」とあります。